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執筆者の写真Saori Ushijima

どうせわたしはダメな人間だと決めつけて、あぐらをかくのは良くないですか?そういうのも必要ですか?【Quora回答】

今日は2回連続の投稿になります。

後半はQuora回答より。

Q&AのSNSサイトQuoraで、私が回答した記事を転載しています。

さて、今日の質問は・・・



【質問】


【回答】

リクエストありがとうございます!カウンセラーです。このご質問、すごくよくお聞きする悩みです。こっそり閲覧して、ささやかな参考にしていただければ幸いです。

「あぐらをかく」という表現から、「開き直る」というニュアンスだと思って間違いないでしょうか。「どうせ私はダメな人間だから、しょうがないじゃん」と開き直る。 これはですね、開き直ることそのものよりも、開き直ることによって「失敗を恐れなくなる」か、それとも「失敗を恐れてチャレンジを避けるようになる」かによって予後はだいぶ変わります。

いろいろなことに挑戦していって失敗しても、ダメなところからスタートしているので失うものがないとか、仕事をしててミスしても自分を責めることがなくなるとか、そういう開き直り方は自分を楽にしますし、そのような開き直り方を「自己受容」といいます。 逆に、どうせダメだから何をしてもムダだ、と「わかっている」からチャレンジしない、という場合はやっかいです。

何度も申し上げているのですが、人は「わかっている」ときほど本当の意味では「わかってない」んですね。

なので、失敗することがわかっていると思ってチャレンジをしないと、現実には何も起きていないので、「実は成功したかもしれない自分」というものが心の隅に現れ、少しずつ、少しずつチャレンジを避ける度に大きくなっていくのです。そしてそれはいつしか現実の自分と同じ背丈になり、ギャップに苦しむようになります。このもう1人の自分を何と呼ぶかというと、「自己愛」です。自己愛というのは、「自分はすごいんだ!」という感覚ですが、なにもオラオラした人に限って自己愛を持っているわけではありません。みんなどこかに「輝かしい自分」という幻想を持っているのです。しかし、チャレンジを避ける度にそれが膨らんで、いつしかその自己愛像が傷ついたり崩れたりしないためにだけ生きてしまうと、人生は辛いものになってしまいます。

チャレンジ(失敗すること)を恐れているか否か、で、自分の状態をよく見てみてください。でも、もし自己愛の傷つきを恐れていたのだとしても、人間誰しもそういう時期があるもので、必要かそうでないかと言われたらそういう時期も必要なんです。決して無駄ではありません。

あなたに必要なのは、幻想の中で自分がすごい可能性を抱き続けることではなく、現実に、事実としてすでに「自分はすごいんだ」ということに気づくことなのです。それに気づくステップとして、「自分はダメなんじゃないか」という葛藤があるんです…人間って、ややこしい成長の仕方しますよね…。

ということで、ダメ認定をするのは必要なことですが、早めに諦めて、自分のすごさを認めてくださいね!(笑)


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「自分はたいしたことがない」ということ自体が幻想なのかもしれません。

私はその幻想から、目覚めさせるためのツールとして、あなたに出会いたいと思っていますよ!


では、また次回。


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